仮面の忍者赤影の子役・青影役の金子吉延さんとは?
1955年6月28日生まれ 現在66歳 東京都板橋区出身です。子供の時、小児喘息があり自宅に引きこもり気味だった為、お母さんが劇団にいれたのがきっかけだったようです。1960年からチョイ役で出演し、その後、1966年でしたでしょうか「大忍術映画ワタリ」の主役に抜擢されました。金子さん自身原作の白土三平さんのファンだったらしいです。
そして1967年、あの名作、仮面の忍者赤影の中で青影役で一世を風靡しました。強い忍者か弱い忍者かわかりませんが言えることは滑稽な子供忍者でしたね。だから仮面の忍者赤影のドラマは子供たちにも大人気があったんでしょうね、その後はどっこい大作でメインを務めましたが、脇役メインが多くなりました。俳優としての本業は23歳~24歳ぐらいの時に引退して空調関係の会社を経営しました。その後チョイ役でTV、Vシネマ、イベントなどに出演されています。
仮面の忍者赤影の少年忍者 青影役 金子吉延さん
天才子役と言われた金子吉延さん、子供の時、仮面の忍者赤影での青影役を見てファンになりましたね。青影の物まねをしたといった方が良いかもしれません。そうですあの「だいじょう~ぶ」です。今の時代だったら流行語大賞は間違いないでしょうね。男の子はみんな真似をしていたんではないでしょうか?
金子吉延さんと「どっこい大作」
中学2年生~3年生の時だったと思うのですが赤影の再放送やっていて、赤影の話題になったとき、ラジオ好きの友人が現在の赤影は坂口徹郎の名で時代劇をやっているなどの情報を仕入れて来て「へーっ!」と言った記憶があります。そして青影はというと、「どっこい大作」の主役の人と聞いたときは、もう驚いたこと、驚いたこと、本当にびっくりしました。どっこい大作を見ていましたが私自身全然知らなかったです。確かお相撲さんのドラマだったですね。
緑の花がある暮らし。-緑の花の定期便-金子吉延さんの演技力
天才子役と言われていたので、ワタリや赤影を見ると見ているほうが夢中になるので、それだけすばらしいということですね。仮面の忍者赤影の第一話は少し演技が堅かったような気がしますがその後は、日本の子供達を虜にするぐらいすばらしかったと思います。
天才子役 2人の金子くん
金子という天才子役が当時、2人いました。悪魔くんやジャイアントロボに出演されていました金子光伸さんです。これも私当時よく見ましたね。再放送ですが・・再放送もかなりやっていたのでその都度見ていました。この2人の天才子役の金子さんは血縁感j系はないそうです。本当に偶然なんですね。偶然です。金子光伸さんは1969年にインタしたようです。その後仮面ライダーのオファーがあったようですが断っているようです。そして残念なことに39歳の時、聞いた話ですが交通事故で亡くなったようです。
仮面の忍者赤影 キャスト赤影役の坂口祐三郎さんの情報はこれです
まとめと感想
私が30代~40代のとき、テレビ番組で懐かしいシリーズ、「あのドラマの子役は今」などゲストで出演されていた時、よく見ていました。懐かしさもあり、とてもワクワクして見ていたような気がします。それぐらいうれしかったですし、自分自身が子供の時に戻ったようなうれしさがありました。赤影さんの坂口祐三郎さん同様、自分自身の人生が左右されていたかもしれません。この仮面の忍者赤影、そして出演者に画面越しに出会ったからこそ、今の自分があるのではないかと思うぐらいです。この年代になっても、あの時思い出し、こうしてブログに記載するほどの名作であり出演者たちです。そう、その中の青影さん、金子吉延さんです。何回思い出しても飽きないですね。少年忍者の先駆け、少年忍者とはこういう感じだというのが出来上がりました。
ここから忍者が好きになった人はたくさんいたのですはないでしょうか?ただし色んな忍術を使うんだという既成概念が・・・・中学生以降、興味を持ち出していろんな忍者の本を読みましたね。両親に伊賀上野に連れて行った貰った記憶があります。
自身、子供が生まれてからも伊賀上野の忍者屋敷に連れて行きましたね。真田太平記の小説を呼んだ時興奮しました。大好きな本のひとつです。あと、テレビドラマで服部半蔵・影の軍団大好きなドラマです。水戸黄門の風車の弥七、飛猿、かげろうお銀、応援していました。こんな感じで、仮面の忍者赤影での青影役の金子吉延さんに大きく影響を受けました。 こんな私はすっかり定年前の白髪交じりのおじさんになってしまいました。
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