仮面の忍者赤影の主役、坂口祐三郎さん
坂口祐三郎さんが演技していた仮面の忍者赤影役、とても魅力的でした。当時子供でしたが男の子たちを虜にしたのではないでしょうか?私はリアルでは見ていません(2歳ぐらい)が再放送で何回も見させていただきました。
この仮面の忍者赤影の坂口祐三郎さんを知らなかったらどんな大人になっていたんだろうと思うと私の人生に大きく影響を与えたテレビ番組だった思います。50代になってからこのようなブログを立ち上げることがなかったと思います。
しかし、なぜ夢中になって今でも心の中にあるのでしょうか?とても不思議な気持ちがします。この年になっても何回も何回も再放送を見ました。今も見ています。
赤影さんだけではなくて白影さん、青影さんの存在も大きかったんでしょうね。子供心に青影さんの「だいじょう~ぶ」の真似をしていたような気がします。
仮面の忍者赤影のキャスト坂口さんとはこんな人
本名は中村徹、福岡県久留米市生まれ、1941年9月3日生まれ2003年7月13日没 61歳
活動していた時期は1961年~ 福岡県立八女工業高等学校2年の時に同級生の女子が知らない間に応募し東映ニューフェイス第7としてに合格しましたが、卒業してからということで8期生として再度合格したとのこと。 1967年4月に仮面の忍者赤影役をもらうということになったようです。
仮面の忍者赤影役の後の坂口さんの俳優人生は?
いろんなネット・サイトでも書かれていますが坂口祐三郎さんはこの赤影役がら脱却できずその後の俳優人生は苦労したそうですね。この赤影役以外で坂口さんを見たのは時代劇しかないですね。水戸黄門をよく見ていたので出演されていたのを覚えています。もちろんそれ以外の時代劇にも多数出ていましたが主役というところまではいかなかったようです。
私は水戸黄門が好きな時代劇のドラマだったので、たまに殿さま役で坂口さんを見かけました(それ以外の役もあったと思いますが)水戸藩の3代目藩主の徳川 綱条(とくがわ つなえだ)役でしたね。確かそうでした!。
水戸黄門以外でも遠山の金さんや銭形平次など確かに主役級ではなかったですね。芸名も坂口徹、坂口徹郎など変更していたみたいで。
仮面の忍者赤影が面白い理由は?
なぜ仮面の忍者赤影はおもしろかったのか?子供のころ一喜一憂し、今でも、50年以上もたっているのに心に残っているのでしょうか?
出演者、制作スタッフが一丸となって番組を作ったんでしょうね。演じる人も番組を作る人も楽しみながら仮面の忍者赤影を制作してたと思います。だからテレビを見ていても、その楽しさが伝わるということではないでしょうか!それが名作となったと思います。
赤影役の坂口さんは後年、雑誌のインタビューで答えていますね。演じるときは吹き替えはほとんどなし、当時はCGもないので自分で演じて、全てが手作りだったと、ケガも絶えなかったと言っておられます。(空中3回転は専門の方がやっていたそうです)
当時の映像をじっくり見るとピアノ線らしきものが吊ってあるのが見受けられます。ということは本当に本人が吊るされているということですもんね。
仮面の忍者赤影のキャスト青影役の金子吉延さんの情報はこれです
仮面の忍者赤影 陽炎役とのエピソード
制作スタッフの子供たちにもアイデアを募ったらしいですね。その中でおもしろい話を坂口さんが同じく雑誌に答えていましたが第4部にでてきた青影の姉、陽炎役の時美沙の評判がよくなかったらしく、子供たちに聞いてみると赤影は女性といちゃいちゃしてはいけないということらしく、その後陽炎とは余り会わず、陽炎は赤影が助けるのではなく自力で脱出するというストーリーが多くなったらしいです。多くの赤影の作品で監督をした倉田準二さんは当初、愛のドラマを作るんだと張り切っていたらしいです。
まとめ
このあいだ、なんでも鑑定団で小説「仮面と生きた男」の瀬崎智文さんが坂口さんから受け継いだ貴重な赤い仮面を鑑定に出されていました。お話を聞いていて感動いたしました。
そういえば100万円の価値がついていました。とても貴重な仮面ですね。世界にひとつだけの仮面です。
何回見ても飽きない仮面の忍者赤影、DVDを購入して一体何回見ただろうか?子供心にもどってしまいます。すがすがしい心になります。不思議です。いやなことは忘れます!
仮面の忍者赤影のシリーズ2、3、その後など見たかったですね。宿命とはいえ、坂口さん亡くなるのが早すぎますよ。いつもでも仮面の忍者赤影を応援しています。私自身健康でなければなりませんね!
緑の花がある暮らし。-緑の花の定期便-
コメント