仮面の忍者赤影のキャスト 幻妖斎役の天津敏さん
本名、天津敏(あまづびん)さん 宮城県石巻市(旧:生郡河南町)出身。1921年2月16日生まれ。1979年7月24日 脳出血の為58歳で死去しています。
仮面の忍者赤影 キャストの天津敏さん 名悪役でした
私たちの世代には絶対に欠かせない悪役・敵役です。私は仮面の忍者赤影世代なので幻妖斎は怖くて怖くて子供の時夢にも何回も出てきた記憶があります。大人になってからも悪役・敵役と言ったら幻妖斎、天津敏さん以外は考えられなかったです。今も亡くなられて40数年たっていいますが、やはりNO1です。
子供の時、ごっこ遊びで悪者役するときや、悪い奴がいれば冗談で「幻妖斎みたいだなあ」とよく言ったものです。何回も言って申し訳ないのですが悪役、敵役は幻妖斎=天津敏さんが燦然と科が咲いています。
仮面の忍者赤影 幻妖斎役
仮面の忍者赤影に出演されていたのは第一部金目教編と第2部の卍党編でしたね。悪役の頭領という役です。
体も大きく(182cm)メイクすると一層怖くなる、敵役にはもってこいの風貌でした。子供の時に見たこわい顔ですから一生わすれることはできませんね。いろんな東映映画などに出演されていましたが仮面の忍者赤影の幻妖斎の印象が強くいろんな映画を見ても、あっ,
幻妖歳だ!といつも言っていましたし思っていました。それ以外の役どころが思い出せませんね。眼の近辺の青いメイクは怖かったなあ
仮面の忍者赤影の幻妖斎役の天津敏さん、それ以外の役は?
天津敏さんが活躍していたころは1960年代から1970年代のころなので私は1965年生まれなのでリアルタイムで活躍を見ていたわけではありません。仮面の忍者赤影もそうです。天津敏さんを見たのはすべて再放送ですね。東映のやくざ映画、そして千葉真一や志穂美悦子
さんたちが出演されていた殺人拳、女拳士の必殺シリーズですね。あとはやはり再放送ですが時代劇でしょうかいくつかの悪者役でゲスト出演されていました。その時代劇の中でも私が特に印象にあるのが水戸黄門です。再放送で見た1974年の第5部で準レギュラーの時ですね。もちろん悪者、敵役です。忘れもしません玄竜という役、鉄羅漢玄竜、忍者の頭領役です。みごとにハマっていました。
怖い感じの役柄で天津敏さん以外できない役柄でした。仮面の忍者赤影の幻妖斎を彷彿させましたね。今、思い出してもすごみがあった頭領でした。
天津敏さんは優しい方
仮面の忍者赤影の赤影役の坂口祐三郎さんや青影役の金子吉延さんたちもいろんなところで言っていますが天津敏さんは風貌にあわず、とても優しい方だったと言っていますね。
仮面の忍者赤影の赤影役の坂口祐三郎さんや青影役の金子吉延さんたちもいろんなところで言っていますが天津敏さんは風貌にあわず、とても優しい方だったと言っていますね。
”『赤影』で共演した青影役の金子吉延は「怖い顔してるけど、すごく優しい人」と思い出を語っている]。宣弘社のプロデューサーだった野木小四郎も「とにかく温厚で、全く怒ったりしない。スタッフでも天津さんのことを悪く言う人などいなかった」と評している。
『赤影』で共演した赤影役の坂口祐三郎によると、天津は甲賀幻妖斎では楽しそうにメイクしていたとのことで、「第2部 まんじ党編」ではメイクや髪形を変え、かなり遊びの要素を入れていた。金子も天津が幻妖斎役を気に入っていたと証言しており、赤影に倒されるシーンのテストでは「もっと出たい」というアドリブを入れていたという。”
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
まとめ
しかし 58歳という若さでなくなったんですね。中学生のころ、友人と幻妖斎が亡くなったという話をしたのを思い出しました。
天津敏さんのような迫力ある悪物・敵役はなかなかいないですね。滑稽な悪者・敵役の汐路章さんとは好対照ですね。本当に
仮面の忍者赤影のキャストは個性豊かな人たちがたくさんいましたね。
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